奥歯の重要性：失うとどうなるか
歯の大切さに順位があるとすれば、最も重要なのは「一番後ろにある奥歯」と「後ろから二番目の奥歯」でしょう。なぜなら、たとえ歯を失っても、奥歯が一本でも残っていれば、それを土台にブリッジという固定式のかぶせ物ができ、入れ歯を避けられるからです。
しかし、奥歯がなければ入れ歯かインプラントしか選択肢はありません。そして、費用面を考慮してインプラントではなく健康保険内の入れ歯（義歯）にすると、想像以上の違和感に我慢して生活することになります。
ここからは、先日お越しになった患者Aさんのお話をご紹介します。
奥歯の痛みを放置した結果
Aさんは仕事が忙しく、歯の調子が少々悪くても歯科医院へ行きませんでした。休日に開いている院が少ないこともあり、強い痛みがなかったからです。
しかし、ある日、奥歯の腫れがひどくなりました。仕方なく有休をとり、歯科医院に行くことにしました。子供の頃の虫歯治療の経験から、すぐに何とかしてもらえるだろうと思っていましたが、今回はそうはいきませんでした。
レントゲンを撮られた後、見せられたのは驚くべき結果でした。
歯周病の進行と抜歯の宣告
「Aさん、一番奥の二本の歯はもう周りの骨がすっかり溶けてなくなっています。この歯はもう使えませんね…」
「えー！？先生、それって抜かなきゃならないってことですか？」
「残念ながらそうです。これは削って治せる虫歯治療とは根本的に違います。歯周病になって進行すると、支える骨が歯周病菌で溶かされてなくなります。歯周病は症状が出て気づいた時点で、かなり進行していることが多いのです。よく“歯周病は沈黙の病”と言われる理由です。今までも違和感や腫れ、出血、口臭などの症状はあったはずですが…」
Aさんは暗い顔で答えました。「確かに違和感はずっとあって、たまに腫れたり引っ込んだりしていました。でも虫歯のように痛くはなかったし、市販の薬用歯磨き粉を使えば症状が薄れたので、そのうち何とかなるだろうと思っていました。まさか、歯の周りの骨が溶けてしまっていたとは…」
歯周病の恐ろしさ
歯周病が深く進行すると、虫歯のように削って詰めたり、かぶせたりして治すことはできません。一足飛びに抜歯となります。歯周病の症状である歯茎の腫れなどの違和感は、抜歯して歯がなくなった時点で消えます。
「手遅れです。残念ですが奥歯二本は抜歯になります。それと、残された歯のために、何回か歯周病の治療も必要です…」
歯医者へ行って突然奥歯二本の抜歯を宣告されたら、あなたはどう思いますか？まだ他の歯があるから二本くらいなくても平気だ、と思いますか？
奥歯が無くなった場合の治療法
その後、また噛めるようにするためには、以下の三つの方法があります。
- インプラント：人工歯根を骨に埋め込んで歯を根元から作る方法。
- 入れ歯：取り外しのきく入れ歯で噛むところを補う方法。
- 放置：何もしないでほっておく方法ですが、医学的観点からお勧めできません。
Aさんは、インプラント手術は怖いし、健康保険でできないのでお金がかかりそうだと思い、健康保険でできる入れ歯を選択しました。
健康保険内の入れ歯の限界
健康保険で採用されているクラスプ義歯は、戦後からずっと変わらず、設計や材料も何十年もほとんど変わっていません。科学の進んだ時代なのに、改善されず従来のままです。これが保険制度の限界なのでしょうか。
保険治療の考え方は、失った歯の場所を最低限形態的に回復しようというだけです。装着感や食べやすさまでは考慮されていません。
保険外であれば、不快な金属のバネを使わないノンクラスプデンチャーや、ドイツ発祥の「テレスコープ義歯」があります。これらはバネで引っ掛けるのではない独自の仕組みで、違和感を低減しています。こういったものが早く保険内になることを祈ります。
初めての義歯の違和感
Aさんは、虫歯の治療では治療が終われば何の違和感もなく硬いものも食べられた経験がありました。なので、今回の入れ歯もそんな感じだろうと気楽に思っていました。
ピンク色のレジン、白色の人工歯、ワイヤークラスプの3つのパートから構成
ところが、できあがった義歯を入れて生活してみると、
- 入れた途端に歯茎に何かが触って口の中が広げられた感じ。
- 窮屈で何とも言えない違和感。
- 引っ掛けてある別の歯にも変な力がかかっている感じが続く。
- 硬いものを上手く噛めず、力が入らない。
- 食感が感じられず、食事を楽しめない。
と非常に驚かれたそうです。
義歯の違和感は避けられないもの
この違和感は仕方のないものです。人の口の中は、髪の毛一本でもわかるくらい繊細です。それなのにプラスチックのごつい塊が歯茎の上に乗せられるのです。
健康保険の入れ歯の場合、正常な人と比べて噛む能力は6分の1以下という研究結果があります。以前の歯と同じ感覚は義歯では無理なのです。
歯のない所は常に義歯が歯肉に接しています。なので、取り外して洗わないと不潔になります。入れ歯は取り外して洗えますが、食べている時に外れてしまっては困ります。こういった相反する二つのこと、つまり外したりしっかり固定したりをうまく考えなくてはならない面倒な人工臓器なのです。
義歯の不快な点
イチゴの種やゴマなどの小さいものが、入れ歯の間に挟まったのを知らずに噛むと飛び上がるほど痛いこともあります。プラスチックでできた部分が歯肉を覆ってしまうため、食べ物の味が伝わりにくくなります。本来楽しいはずの食事も億劫になる方が多いです。
義歯の取り外しは、自分の歯に引っかかっているワイヤーを上に持ち上げればよいのですが、その時に引っかけている歯が揺り動かされ、不快に感じられる方が多いです。
見た目もワイヤーが目立つため、あまり口を開けたくなくなる方もいます。
保険の義歯は消耗品
また、健康保険の入れ歯は消耗品だと思ってください。何年かすると多孔質のプラスチックが唾液で変色し、臭いがつくようになります。
噛む面の人工歯もすり減ってきます。そうなったら再度作り替える必要があります。
また、毎日清潔にしていただくためにも、外してきれいに洗う管理が必要です。そうしないと入れ歯の表面は細菌の温床となります。
Aさんは「虫歯の治療では、お手入れの話なんか聞いたことがなかったのに、なんて面倒でお金がかかるのだろう…」と思われたそうです。
義歯を使わないと起きる問題
その後、Aさんは何回か頑張って部分入れ歯を使おうとしましたが、違和感に馴染めず、結局外して使わなくなりました。外したままでも多少食べにくい状態ではありましたが、そのまま何年か放置してしまいました。
「奥歯が片方なくてもなんとか食べられるから、そのままでいいや。それに歯医者さんはお勧めしないとは言いつつ、第3の選択肢として何も入れないってのもあったし」と思っていたそうです。
しかし数年後、大きな問題が起きました。
奥歯は大事だった…顎関節症の発症
Aさんが朝起きたとき、なんと顎が突然開けづらくなっていました。指一本も入らないくらい口が開きづらくなっていたのです。無理に開けようとしても痛くて開けられません。また、最近顎を開け閉めする際にゴキゴキ音がしていて、変だなと感じていたそうです。
さらに、抜かれた奥歯のすぐ隣にある唯一残された小臼歯もグラグラになっていました。
「Aさん、顎が奥にずれてしまっていて、顎関節症になっています。それに、残念ながら手前の小臼歯は歯周病でグラグラです」
顎関節症は、噛み合わせの異常や強いストレスなどで両側の顎関節に均一でない力が持続的にかかり続けると起きる病気です。
義歯を使わなかった代償
「Aさん、奥歯に入れ歯は入れていなかったのですか？」と尋ねると、
「ああ…すみません、違和感があって結局あまり使わないうちに外してしまって、そのままでした」
抜歯されたまま、奥歯が二本ともない状態で唯一残された小臼歯を使って食べていたことが災いし、ここが過重負担となっていました。そして、今度は歯周病で骨がなくなりグラグラになってしまったのです。
以前の義歯はもう全く合わなくなって使えません。それに手前の歯はもうグラグラなので、そこに引っ掛けても一緒に動いてしまい、痛くて噛めない状態です。
かなり厳しい状態ですが、奥歯がないと顎へのストレスは解消されません。痛みも引きませんし、口も開くようになりません。
大きな義歯への抵抗と治療開始
かといって義歯を入れるにしても、今現在グラグラの歯にはワイヤーはかけられません。仕方なくさらに別の反対側の歯にまで引っ掛ける部分を増やす設計となりました。要するに以前より一回り大きな義歯が入れられることになったのです。
片側遊離端欠損部位を補うための義歯の設計形態
以前、違和感があって諦めていた義歯なのに、今度はそれより大きな義歯です。
違和感がどれだけ増えるかは明らかでした。
今まで放っておいた代償はAさんにとってあまりにも大きすぎました。もう義歯は違和感があって嫌だ、などと言っている場合ではないのです。
嫌でもとりあえず治療のつもりで義歯を入れて、顎のバランスを回復していかないと、ずれてしまった顎の位置を元に戻せません。顎も開きにくいままです。
仕方なく渋々と一回り大きくなった義歯を口の中に入れて、奥歯で噛むところを確保し、顎へのストレスを軽減させるところから治療を始めました。
最初は顎のリハビリのつもりで義歯を入れていただき、あえて噛みにくい側でも噛むようにしながら、ずれてしまった顎の位置を少しずつ元へ戻していく顎偏位の治療を新しく作った義歯を使って行いました。
その後、Aさんの顎の状態は徐々に回復していきました。
奥歯の重要性とバランスの大切さ
このように、奥歯はとても重要であり、失ってしまうと他の歯に比べて大きな問題や不快感を引き起こしやすいのです。奥歯の重要性をぜひ感じていただければと思います。
また、不快だからといって入れ歯を外すと口腔内のバランスが崩れ、顎関節症など様々な問題を引き起こします。
保険内の入れ歯に限界はありますが、取り付けたものはきちんとつけ続けることを強くお勧めします。また、自費治療にはなりますが、不快感が少ない入れ歯が様々にあります。長い目で見て、考えていただくことをお勧めいたします。
また、当院では歯科情報を様々に発信していますのでぜひご覧下さい。
歯の治療は、一般的な内科治療などと少し違いがあります。それは「同じ箇所の治療でも、やり方がたくさんある」ということ。例えば、1つの虫歯を治すだけでも「治療方法」「使う材料」「制作方法」がたくさんあります。選択を誤ると、思わぬ苦労や想像していなかった悩みを抱えてしまうことも、少なくありません。
当院では、みなさまに安心と満足の生活を得て頂くことを目標に、皆様の立場に立った治療を心がけています。お気軽にお越し下さい。
