1.ある日突然前歯の一本が抜けそうなほどグラグラに…その原因は意外な所に

長年歯科医院をやっていますが、口の中という物理的には狭い範囲なのにもかかわらず、さまざまな症状に出会います。

例えばこのような事例がありました。

それは「ぶつけたりしたわけでも無いのに、突然前歯の一本が、抜けそうなくらいグラグラになってしまう」という症状です。

前歯1本だけ徐々に動いてきた

歯周病ではありません、例え歯周病であれば一本だけではなく支える歯を失いかけている周りの歯もぐらつくはずですが、それもありませんでした。

しかし実はこのようなことは十分起きうるのです。

その方の過去の治療やデンタルヒストリーを読み解くことで、原因と、その上でどうしていけば根本的に解決できるかが見えてきます。

※目先の悩みを取り除くことだけに着目するのではなく、デンタルヒストリーを把握した上で根本的な解決を目指す治療を「総合治療」と呼びます。当院は「総合治療」による根本的な解決を行う事をモットーとしています。

原因は…奥歯と、そしてその先にある「噛み合わせのひずみ」

歯が動き出しグラグラになってしまう際、多くの場合まず考えられるのは「持続的な力」がかかっていることです。

よく「子どもが指しゃぶりばかりしていると、出っ歯になってしまう…」と言われます。これは、指しゃぶりをしていることで前歯に絶えず指の力が加わり続けるためです。

しかしもちろん、今回の例はお子様の例ではなく、具体的には50代の男性です。確認は一応させて頂きましたが、指しゃぶりの癖はありません。
では何が原因だったかというと「奥歯」でした。さらに言えば「奥歯のかみ合わせが悪くなった事による、咀嚼サイクルの狂いと、奥歯のかみ合わせのズレ」なのです。

一時期、奥歯を抜いたままにしていたことが、全てのはじまり

今回診療でお越しになった方の奥歯を拝見しながらお話を伺いました。すると

  1. 昔、忙しかった。なので、右下の奥から2本目の大臼歯を抜いたまま放置していた時期があった
  2. 年月が経ち、抜けた歯の手前の歯が徐々に倒れてきてしまった。な。なので、マズいと思いかかりつけの歯医者に行った
  3. 本来は倒れてきた歯を元の位置に戻してかみ合わせを補正しなければなりませんが、忙しいとのことで、ひとまずブリッジを入れて治療終了にしてもらった

という状況だと分かりました。

これが原因です、この時点ですでにその方の咀嚼サイクルは狂い始めていたのです。

外傷性咬合右側

抜けた歯を両脇の歯で補うブリッジが入り、噛む場所は確保できました。

しかし急ごしらえの形態は、およそもとある本来の歯の位置とは違う位置で作られており、形の良いものではありませんでした。

しかも、下の歯が倒れたことで向かい合う上の歯の位置もずれてきていたようでしたが補正せずにかなり上下関係は凸凹な形態になっていたようです。

石膏模型を横から見た所
型を取って石膏模型を作り、その方の噛み合わせを横からみたところ。

歯のかみ合わせのバランスが崩れると、顎がずれていく

本来上と下の奥歯が一連のアーチ状にきれいに並んだ歯列なら、ヒトは顎を自由に動かせます。

しかし何かの原因でバランスが崩れていると、食べやすいエリアを求めて次第に干渉の強い部分(今の場合は右側)を避けるように噛み始めます。

この方の場合、右奥歯がなく、左側を多用していました。その結果、かたよった左側の位置で無理に噛むたびに顎がどんどんズレてしまったのです。

そしてそのズレがさらに歯の干渉を呼び、それを避けるためにさらに顎がズレと…負のスパイラルに陥ってしまっていたのです。

ズレていく流れ(デンタルヒストリー)

この方の顎がずれるまでのデンタルヒストリーの順番は次のようになります。

(1)抜けた歯を放置した事による干渉の出現

右下の歯がまず抜けた時期が最初にありました。抜けて直後の段階では歯は移動しません。なので、単純に歯が一本なくて噛みにくい…くらいだったと思います。

模型上での歯が一本抜けた当初の状態ではまだ奥の歯は倒れていない

その後、数カ月がたち、右下の抜けた歯の後ろの奥歯が手前に倒れてきたことで奥歯の一部に強く当たる干渉部位というところがまず現れてきます。(図の赤いマークをした部分)

一番奥の歯が手前に動いてきた状態の模式図

(2)干渉を避けるために、崩れ始めるかみ合わせのバランス

干渉があれば当然そこでは噛みにくくなるのでそうでない反対側のエリア(左側)で噛む癖がつき始めます。

そしてその時点で噛みやすい左側ばかり使った咀嚼サイクルが形成され、その結果顎の位置はどんどん左にずれ始めます。

下顎は上顎に対して、咀嚼筋にぶら下がって開け閉めできる構造になっています。

上顎
上顎骨と上顎
下顎骨(この写真では第3大臼歯まで存在)

下の図は模式的に上顎を黄色で、下顎を青色で書いたものです。

正常な上下顎の状態では左右対称に位置している

下顎が上顎に対して、ずれていく方向をイメージしやすくするための図です。

下の顎(青)がずれている様子

 

(3)バランスが崩れて、どんどん余分な負担が奥歯にかかる

これに伴い、上顎左側の臼歯部は絶えず使われすぎで余分な力を受けることになります。それに伴い左側の方が休む暇なく使われ続け、歯肉からは右側よりも歯周ポケットもふえており、出血することも左側の方が多い状態となっていきます。

(4)干渉がさらなる干渉を呼び、バランス崩れが加速する

その後、向かい合っている上の歯がのびてきますと、もうひとつ別の干渉が起き始めます。

上顎の歯が呈出することで、顎を動かそうとする際にさらに別の場所に干渉がおこり始める(手前の赤印)

顎はその噛みにくい場所をさらに避けるように左の奥の歯でかみます。なので、顎の偏位はさらに進んでいくことになります。

この時点でその方の顎の位置が本来あるべき位置よりも奥に追いやられて、左横へぶれた動きが増し、結果的に顎偏位という顎ずれの現象を引き起こしていたと考えられます。

時間とともに、左側だけでなく後方に押しやられる様な干渉が起こります

(5)バランスを戻そうとして無意識に歯ぎしりが、その結果より強い力が特定の歯に

ヒトは左右上下のバランスの良くない無理な噛み合わせの状態で日中食事の時も含めて長時間緊張状態でいますと、咀嚼筋と言って開けたり閉めたりする筋肉がかなり疲労し始めます。

緊張状態があれば、人は無意識にそれを何とか元に戻そうとします。

その行動は実は夜の皆さんが寝ている時に起きるのです。

夜寝ている無意識の時に昼間緊張してしまった咀嚼筋のストレスを発散しようと、無理な方向での歯ぎしり運動をすることでなんとか相殺しようとしはじめます。

(6)その結果、負荷のかかった前歯の一本がどんどん外側に押し出された

そのストレスを補正しようとする夜間の強大な歯ぎしり(ブラキシズム)によって、一方向だけの偏った強い歯ぎしりの力が毎晩かかり続け、その異常な歯ぎしりの通り道にそった前歯の一本だけが外側に押し出されるように開いてきた結果となっていたわけです。

このような流れで、冒頭の不思議な現象が起きていたのです。

歯ぎしりをする際に動いてきた変則的な下顎の位置を模型上で合わせるとぴったりと歯のすり減った面(ファセット)の位置と一致します

根本治療をしないと、本当の解決はありません

顎ずれがある以上、患者さんに対して、この出っ歯を治す本質的な方法は、基本的に歯周病治療後に奥歯の噛み合わせも含めて修正することのできる矯正治療をしたうえで、その後にかぶせ物としての補綴治療をすることが必要ですよ、とお伝えしました。

もし出っ歯になってしまっているぐらぐらの前歯だけを抜歯して、噛み合わせの悪くなった奥歯の状態はそのままで、抜いた場所にインプラント手術で歯を植えたり、抜いた歯の両脇を削って支えにしてブリッジで抜けたところを補ったとしても、この奥歯の関係を補正しない限りは、依然顎全体のひずみは残ったままなのです。

インプラントやブリッジが見た目の部分にはいれば、飛び出してきた前歯の問題はすぐに解決したように見えるでしょう。

しかし噛み合わせのひずみを解消しなければ、何年かして必ずその部分とその周辺に何らかのトラブルが再度起きます。

口腔内は、バランスの取れた力が前歯と奥歯各に伝わる状態の下ではとても長持ちするものの、そうした夜間などに働く持続的な力に対しては思いもよらず弱いです。

どこか特定の歯だけに力がいつも集中し続けていると、やがてはそこの歯が割れたりかけたり周りの歯周組織が外傷性の力で破壊され歯周病になったりといった現象として必ず起きてくるのです。

この方の場合、それをご説明し、ご納得頂いた上で、精密な顎機能運動検査で顎のずれをさらに正確に測定してから上下の矯正治療できちんとひずみを補正したあと、奥歯のブリッジも作り代えていく総合治療となりました。

矯正装置とワイヤーを付けた最初の状態
上顎の右側の不良な形態の補綴物はいったん仮の歯(プラスチック樹脂)に変えてある

矯正治療の結果、抜歯寸前だったぐらぐらの前歯も結局は抜かずに残せました。

下の写真はすべての治療が終了した後の術後写真です。

右側に入っていた不良な形態の銀歯のブリッジもいったん仮の歯に置き換えたあと、形態の良いジルコニアのブリッジに入れ替えてあります。

 

上顎と下顎のラインが一連の流れのようになったおかげでご本人はとてもスムーズに噛めるようになった…と喜んでおられました。うれしいです。

目の前の症状だけ見つめる治療より、根本治療を

この例のように、目先の治療(とりあえずブリッジを入れて歯が倒れるのを防ぐ)だけでは、後々大きな問題を引き起こします。

口の中全体を考えた上で、総合的に診る総合治療を当院ではお勧めしております。

今のあなたの口腔内が正常なのか。例えば噛み合わせの位置がはたして本当に正しいのか、今のあなたの歯のかぶせ物の形態は問題ないか。

1つの症状が放置されるなどで、様々な症状を引き起こすのが口腔内です。

今回の例はあくまでそのひとつにすぎません。奥歯が見た目一見上下すべてそろっているように見える場合であっても、その位置が干渉を起こさない位置であるとは限らず、同じような現象が起きてくる事例を臨床上多く経験しています。

噛み合わせに問題があれば、本来はまずそこを矯正をして位置を補正したり、かぶせ物をはずして形態を補正した後に最終的なかぶせ物に置き換えていくことが重要です。そうすれば、治したところも長期的に安定した状態を維持していくことができることになります。

原因を知り、その原因となる環境を整え、再発しない状態になるように修正し治療することで、みなさんが本当の意味で安心して人生を送っていくことができます。

私達はそれを大切にしています。

お悩みの際は是非ご相談下さい。